ミルクティー

現パロ。目覚ましを忘れた

 目覚まし時計の繰り返しを、解除していた。一度止めた携帯を手にすると、起床時間を三十分過ぎている。
 起き抜けは頭の働かないウリエンジェも流石に目が覚め、飛び起きようとする。が、隣で寝息を立てるサンクレッドが目に入り、細心の注意を払ってベッドを下りた。
 すり足で洗面所へ向かい、冷水を顔へ浴びせる。髭を剃る時間も惜しいが、社会人としてそうもいかない。音ばかりが大きいシェーバーを頬にあて「買い換えるべきだ」と感じる。先日、サンクレッドの部屋で拝借したシェーバーは使い心地が良かった。あれがいい。
「……ウリエンジェ」
 高速で歯を磨いている最中に恋人から呼ばれ、ウリエンジェは盛大に咽せた。気管支に入った歯磨き粉が暴れ回って、涙が溢れる。
「おいおい」
 呆れと可笑しさを含む声音で、優しい掌が背中をさすった。
「休日出勤、お疲れさん」
 寝起きの彼は声が掠れていて、白い肌が艶めかしい。
 どうしてこの人と一緒に居れないのだろう。感傷に浸る間もなく、衣類を身につけ玄関へ急ぐ。サンクレッドが、のんびりと後ろをついてくる気配。
「行って参ります」
 ようやくそれだけを絞り出し、ドアへ手を掛ければ「忘れ物」と、背後から伸ばされた腕が絡みつく。振り向いた拍子に、サンクレッドの唇が重なる。
「じゃあな」
「は、はい」
 笑顔で送り出され、ウリエンジェは坂を下った先の信号機まで駆けたが、点滅する青色に諦めて歩を緩めた。空にはうろこ雲が漂い、秋の訪れを告げている。
 
 遅刻を免れ、仕事を終えたウリエンジェを迎えたのは、暗い部屋だった。
 明日は早出だとサンクレッドから連絡を受けたのが昼休憩で、心構えをしたにも関わらず、好いた相手の存在しない空間に、ひとり戻るのは寂しい。
 靴を脱ぎ、三歩で届くリビングの明かりをつける。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、タブを引くと小気味のいい音が響いた。苦い液体を飲み込んで、明日からの平日にげんなりする。加熱式タバコを手に取り点火を待つ間、今朝のサンクッドを思い起こした。
──じゃあな
 送り出すには不適当と感じ、それから自分の求める言葉に気づく。ケミカル臭を纏わせながら煙を吐き出した。とにかく今日は、早く寝てしまおう。
 
 平日は滞りなく過ぎていった。
 仕事、食事、就寝。いっそ無駄がない生活は、ウリエンジェを律している。日々の些細な事柄──靴紐が解けたまま歩き、同僚に指摘された──を伝えたいと、欲求を持て余しながら。サンクレッドは気遣いが細やかな性質だが、今週は多忙らしく音沙汰がない。彼の邪魔をしたくはなかった。
 金曜日。
 残業を終え携帯を確認すると、サンクレッドからの通知が表示されている。
『今日は直帰。家に行く』
 彼の連絡はいつもシンプルで、業務報告に近い。けれどそれは、いつだってウリエンジェの心を震わせた。
 アパートへ帰る最後の坂道を走り出す。走って、息切れを起こして、頬を上気させて。
「サンクレッド!」
 明かりのついた部屋を嬉しく思った。三和土に靴を放り投げ、リビングへと押し通る。
「おかえり」
 部屋着姿のサンクレッドが、照れ臭そうに笑う。ウリエンジェは、彼の胸に飛び込んだ。
 
 翌朝。ベッドの中で微睡んでいると、サンクレッドが身を起こす。
「腹、減った……」
 そのまま這い出す彼を、ウリエンジェは両腕で拘束し、背中へ唇を触れさせた。
「もう、しないぞ」
「構いません」
 愛くるしいつむじに、目蓋に、頬にとキスを落とせば、困ったように淡褐色の瞳が眇められる。
「紅茶を淹れますね」
 白の裸体を解放して、ウリエンジェはベッドを下りた。今日は余裕を持って。
 沸かした湯をマグカップに注ぎ、ティーバッグの葉がひらくのを待つ。戸棚から粉末タイプのミルクティーを取り出し、ティーバッグと交代に、赤色の湯へ投入した。粉末を湯で溶かすより、茶葉の濃さが味わえる方法なので、ウリエンジェは気に入っている。スプーンでかき混ぜれば完成だ。
「お待たせしました」
「うん」
 湯気を纏ったマグカップを受け取り、サンクレッドが中身を口に含む。美味い、と呟きながら相好を崩す彼を見て、ウリエンジェは声を発した。
「一緒に住みませんか?」
 あの時の自分は、サンクレッドに「行ってらっしゃい」と送り出して欲しかったのだ。ただ、生真面目な彼は「部屋の住人でないこと」を感じていたのだろう。
「ウリエンジェ……」
「私は生活が不規則です。先日も寝坊をしました。ですが、貴方が居れば」
「いいよ」
 畳みかけるように、言い訳を並べるウリエンジェへ、目の前の恋人は端的に頷いた。
「お前が人らしくなれるなら」
「サンクレッド……!」
 テーブルから乗り出す勢いのウリエンジェを、サンクレッドは宥めて着席させる。好意を真っ直ぐに向ける彼が、可愛くてしょうがない。
「……俺も考えていたよ」
 またミルクティーを飲んで、サンクレッドは呟いた。仕事のシフトも、休日も異なるウリエンジェとは、過ごす時間が短い。ならばいっそ、生活を共にするのが最善だ。
「何故、提案してくれなかったのです?」
 得心がいかないと、サンクレッドの好きな金目が問うてくる。大きな身体へ不相応の幼さを備えた彼に、とても弱い。
「…………だろ」
「は?」
「好きだと言ったのは俺だろ」
 かろうじて目線は逸らしたが、首筋まで熱くなるのが分かった。散らされた唇の痕も、ウリエンジェには見えている。
 一拍置いたあとマグカップ越しに、溜め息とも笑いともつかない吐息が漏れた。右手に温かい掌の感触が届く。嗚呼、それは言うな。頼むから。
「お慕いしております」
 昨晩、耳に吹き込まれた言葉が、ミルクティーの香りをのせて蘇る。サンクレッドは何度だって、その正直さに狼狽えた。そうして、これからの日々を思う。きっと退屈しない。